昭和56年04月21日 朝の御理解 2代



 御理解 第50節
 「とかく、信心は地を肥せ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば、肥やしをせんでもひとりでに物ができるようなものぞ。」

 このここで出て来る、地を肥せと言う事ですが、例えば良く世間で言うあの人は地がそのう悪いと言うですね。地が大体不精もんに出来とるとか、もう地がもう地悪に出来とるとかいうように。この地が確かにあのういよいよの時に出て来るということなんです、だから本当にこのう地を肥しておくと言う事がいるんですね。それはのまぁ悪い例ですが、本当にあのう怖いと思うんですねぇ。私の友達で草野の方でしたが、もう大変なこのう博打が好きで、もうそれこそ再三親から注意されてそれでもなおらん。
 もう結婚どもさせたら良うなるじゃろうちゅことで結婚させたんですが、確かに結婚をしましてそこ1、2年はやんでおったんですが、又落ち着いて来たらそれこそ地が出て来たんですね。またやり出したそれでもう徹底的やるんです。とうとうその親からもうこんなこっちゃもう財産でも、もう潰してしまうちゅう事で、まぁ勘当同然で奥さんと子供と別居して生活するようになったんです。
 それでも止まらんとうとう奥さんと別れて、自分だけで生活すようになって、もう本当にすってんてんのような状態。もう大概で目を覚ますだろうと思うんですけど、さまさんですねぇ、そのしれつになっても。でお父さんが亡くなりましたもんですから、また元の家に戻って、もうそれこそもう今度はやるぞっちて言よりましたけれども、また地がでたんですねぇ。
 結局地というのはそういう落ち着いて来ると出て来るようですね。で結局家も財産も潰して、いえそれこそ夜逃げ同然で大阪の方へ行きましたけれど、まぁこれは悪い方の地ですね。ならここにありますように、ひとりでに物が出来る様なという地のこと。そう言う意味合いで私達はこのように信心の稽古をさして頂いておる、合楽理念を地につけようとしておる。
 身に付けようとしておると言う事は、まぁそれこそひとりでに有り難い方にものが思える、ひとりでに合楽理念で物事が見れると、言う事になって来とるんじゃないえしょうか。それがもしそうでないとするならば、一つそこまで地が肥えるまでの信心が、高められなければいけないと言う事なんですね。確かにそれそしてこの地が出るのは、それこそ追い詰められた時に、あなたが難儀の真っ最中の時に、必ずあなたの地が出とるんですよ。だからその地が貴方の地だと思うていい。
 ことに当たった時に私の地が出る。また反面これはあのうやれやれとする時ですねあれをこれ、うちの修行生の方が頂いておる、これは楽な時姿勢を崩さねばおかげになると言う、確かにやれやれとする時にじがでるようですねぇ。ひとつここの地が本当に有り難い地になるまでおかげを頂いて。その地をその地をいよいよ肥えさせて頂いて、ひとりでにひとりでにそれこそ、お茶とか踊りとか長年稽古さして頂いとりますと。
 身のこなしまでがあのうなんとなく、お茶ぁなるほどお茶をしておられる、なるほど踊りをしておられるなと言う様な身のこなしが出来て来るように、ひとりでにそれを心のこなしというか身のこなしが、合楽理念にもとずいての身のこなし心のこなしが出来れるところまで、ひとつ信心を身に付けさせて頂きたい思います。昨日から親先生はじめ、菊栄会の方がまぁ信心実習会に行かれております、本当にあのう親先生達、親先生を私が見さして頂いとると、本当にもうそうなんですね。
 もうたくまぐしてそれこそ私達の場合は、あのう精進して精進しなきゃ有り難い方に行く事になかなかなって来ないのに、親先生場合放っちらかしといても、それこそ玉が坂を転げ落ちる様に、有り難い方にあり難い方に転げ落ちてるんですね、私達の場合は反対に山をこうのぼるような、玉を登らすような精進がないとなかなか有り難いところに行かない。けれど向こうへ降りたら安心じゃと仰る、それ向こうへ降りるというところまでひとつ信心を身に付けさせて頂きたいと思うです。
   どうぞ。